――代表が精肉業界に入ったキッカケは
私が肉屋になったのはもう26歳からです。それまではいろんな自動車関係とか、あと婚礼家具屋さんとか、今のコンビニエンスストアみたいなところのハシリのときに、違うそういうのを作ったりしていました。肉屋になるキッカケは事務用品の営業に行った先なんです。いろいろコピーとかああいうのを売りに行った先の社長と話をしてたら「うちに来ないか」っていう話になっちゃいまして「肉なんて知りませんけど」と言ったんですが、社長から「肉屋になればいいぞ、肉を毎日食えるし」、「それか」と思ってしまって(笑)。あとは入ったら肉屋のほうが良かったんです。それから肉屋になってもう40年くらいになりますかね。
――いろいろあっても開拓営業も楽しかった
肉屋は結構危険でしたけどね。牛が半丸(はんまる)、牛の半分が落ちてきたりしました。重い重いだいたい250キロくらいあるから、それが足に当たって骨折したりしました。手はしょっちゅう切ってますし。ただやればやるほど楽しかったんです。いろんなとこへ営業に行ったり、当時担当になったイトーヨーカドーなど地方のスーパーさんでした。それでまた開拓してないスーパーが結構、イオン系もあったからそこを開拓して入ってみたりしました。営業は楽しかったんです。こっちのほうにセンターあったのでその地方の会社の草加にあったんです。そこに引っ張られて転勤になりで今に至るみたいな感じです。現在の田中屋畜産は八潮に15年くらいですね。
――社内スタッフ試食して商品作り
いろいろ試しに買うんですが、必ず焼いたり煮たりして社内みんなで食べてみるんです。試験というか必ず現場でやります。うちで初めて加工する肉を販売用にしない、1回作って全員で食べてああでもないこうでもないと討論してから商品化でしています。
「まずやってみないことには」という意気込みでいます。何かでもひとつでも当たれば会社って大きくなっていきますから。
――産地仕入れはコツコツとした営業と関係作り
産地仕入れ先もまちまちで、たどり着いたところを開拓していきます。例えば、私がたまたま秋田行って「なんとか売ってくんねえか」という感じから今もずっと取引が続いています。秋田県の屠畜(とちく)も併用した、ハム等を作っている会社様です。そこでは牛も売っているから牛も買っています。東京の中央市場が一番なんだけど、品物が一定しないので秋田の内臓から商品から買おうとなりました。営業力と関係作りですね。
――人事は現場と事務と営業の人材バランスが大事
人事は現場と事務系のバランスが大事です。あと営業人材もトータルが必要なんですよね。やはり20代後半から30代ぐらいの人はどんどん募集していきたい感じです。売り上げさえ伸びたらそのバランスでということですね。まず今パートさんからみたいなところです。
今は配送も運送会社も使っているような状態で、埼玉県、東京都、だいたい1台から2台くらい回しています。営業マンっていうのはあと1人くらいはいればいいのかなと思っています。配送は配送業者と分けているとそのほうが楽だといえば楽なんですね。従業員が増えれば出る固定費も増えます。
――『主婦目線の商品』を主婦が中心に商品作り
高級な牛も置いてるのですが、ほとんどもう普通の家庭が使うものがもう90%です。みんな高級な牛を売りたいんですがやはり地域差もあるし、買う人は90%以上は主婦や家庭ですから、数パーセントしかいない高級なものは主力ではないです。さらに今コロナで飲食店が無理です。ですから家庭に特化した店づくりをしていこうかなと思っています。時にはいろいろぶつかることもありますが、「主婦目線の商品」は彼女たち中心に商品作りするようにしています。